フォトブック「SUNSET」

フォトブック「SUNSET」

SUNSET 〜My thoughts and memories〜
created by おすぎSUN

写真教室に通ったことをきっかけに作成したフォトブックを記事にしました。

私が好きな夕陽の写真を集め、その写真に紐づいて思うこと、感じることを書き綴りました。

どこかせつなくて、情緒のある夕日の景色とともに、

何か大切なものを思い出せるような、そんな1冊です。

写真12枚とそれぞれにつけた短文のミニフォトブックです。

ぜひ一度、見て、読んで、感じてみてください。

太陽は月の400倍の大きさであるのに、
ここ地球から見ると
だいたい同じくらいの大きさに見えることが
なんだか不思議だなと思っていた。

どうでもいいことなんやけど。

なんというか、ほどよい距離感みたいなものを
象徴しているようで。

近すぎると暑いし、遠すぎると寒い。

絶妙なバランスの上に成り立つ
森羅万象の中の一つ。

ここは、白良浜。

夏の夕日は海側に綺麗に沈んでいく。
写真の中のこの瞬間だけでも手の平に。

手の平に乗せた夕日は
より赤みを増し、こぼれ落ちた。

つかめそうな気がしては、距離感を見失い
慎重を期して今度こそはと力んでは握りつぶす。

ここは、白良浜。

僕らがバカやってるすぐそばで、
男女2人が沈み行く夕日をずっと見つめていた。

寄り添い、手をつないで。

振り払えない過去のしがらみをブレイクするには、
「真っ向から向き合うことだ」と誰かが言っていた。

「それができれば、問題にならんわ」と
言いたいのは僕だけではないはずだ。

何かここに忘れ物があるような気がしてならない。

近くを通るだけで、ググっと胸が締め付けられる思いだ。

ここは大阪府立◯◯高校、南グラウンド。

若き日の私が授業をサボって、だらだら過ごした場所だ。

私は学校以外の場所で、
勉強より大切なものを学んできた。

“常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う”

これはかの有名な、アインシュタインの言葉だ。

私は 20 代後半ごろ、自分の中の常識がガタガタと
崩れて落ちていくような時期があった。

海外に行き、見たこともない景色や異文化に触れたり
受け入れがたい現実が立て続けに起きたことがきっかけだ。

ここは、ハワイ・ワイキキのビーチ。

日中はサングラスなしでは辛いほどの真っ青な空は、
夕方ごろになると、嘘みたいに街ごとオレンジ色に染まる。

そして、あちらこちらに大きな虹の橋がかかる。

物質的な豊かさと、心の豊かさは比例しない。

カンボジアで過ごした 2週間で、気づいたこと。

当初抱いていた貧困なイメージとはまったく違い、
毎日をシンプルに楽しく生きる人たち。

帰国してから、朝の通勤電車に乗っている時、
周りを見渡して感じた強い違和感をいまだに忘れられない。

ここはカンボジア、アンコールワット。

眺めのいい場所を見つけて、
しばらくぼーっと眺めていたら
見知らぬフランス人の方から

「そこいい場所ね、私も隣いいかしら?」と話しかけられ
30分ほど、スマホ辞書片手に片言の英語で雑談した思い出。

自然界の中に、こんなにも美しい色彩があるのか!

目的ではなかった、ただ道に迷って迷いこんだ公園の中で見た夕日だ。

「うわ .. なにこれ …」と驚き、言葉を失い、

ただ呆然と立ち尽くすようにしばらく眺め続けた。

太陽が沈むにつれ、深い紫色になりゆく空は
今まで見たことがない美しさのグラデーションだった。

ここはタイの … 名前も知らない公園。

サプライズってめっちゃ感動するよねって、
言葉の意味をこれで知る … ってのは言い過ぎで、
ちょっと盛ったというやつ。

でも、本当に本当に心が震えて感動したんだ。

日々の中に、違いを見出す。

その楽しさを教えてくれた、
とある方には本当に感謝している。

ここは地元近くの駅のホーム。

電車を待っている時に、ふと見つけた真っ赤な夕日。

なんでもない場所を、
まるで絵画のように変えてしまう素敵な夕日。

僕は持っていたデジタルカメラで、
必死に写真を撮っていた。

周りは意外と気づいていないのか。

この美しさを、特に気にするほどでもないというのか。

スマホを見ているそこの君、顔を上げてみろってマジで。

会社から自転車で10分ちょっとの場所に住んでいた時があった。

それはそれで便利なのだけど、それゆえに
一時期「まっすぐ家に帰れない病」を発症した。

頭がぐつぐつして、まっすぐ家に帰れない。

なぜか、家とは違う方向に自転車を走らせている。

謎に遠回りをしている …。

ここは大阪市内のどこか。

悩んだり考えごとをしている時、
ここに行きつくことがよくあった。

僕の頭と思考というのは、
スイッチのように
パチっと切り替えることはできない
つくりになっているようだ。

毎日がもし日曜日だったら?

そんなよくわからん衝動にかられて、
会社をやめた頃に何もしない平日を意図的につくり
「はい、今日も日曜日!」という謎のひとり遊びをしてみた。

ひとしきり堪能すると、
すぐに退屈で落ち着かなくなった。

これは嬉しい誤算であり、いい経験だった。

自由って際限のなさというか、
制限のないようなことを
イメージしてたけど、どうやら違ったようだ。

際限なき状態になると、
混乱し、かえって不自由であると
感じてしまうのは僕だけではないはずだ。

ここは淀川の河川敷。

景色が気に入って、半ば衝動的に移り住んだ。

川沿いの北向きの家は、
おそろしく寒いことを知った経験。

翼は 2 つのバランスが成立してはじめて、
空を飛ぶことができるのだが、
対極にある考えを理解し受け入れるのは容易ではない。

昔の同僚と、よく熱い口論になっていたことを思い出した。

今思えば、とても健康的で
前に進むエネルギーが創造できていたように思う。

空気読んで、愛想笑いで譲歩しあうより、
その摩擦の上に成り立つことで何かが生まれるような。

ここは伊丹空港。

夜の写真教室で連れてきてもらった。

頭上を行く飛行機の音と風圧に圧倒された。

次こそはと意気込んでいても、また圧倒され、
シャッターを意識するのに一歩出遅れ、それを繰り返した。

うん、なんというか、それはそれでいいのだ。

いい写真って何やろう?

今までの写真を整理している時に思った。

そんな時にふと開いた一枚の写真のデータ。

その瞬間、その時の思い出と感情が
ぶわーっと一気に溢れ出した。

ドキドキした。
ドキドキが止まらなかった。

たぶん顔はニヤけていた。

ここは再び、白良浜。

「いくつになってもバカでいよう!」

みんなの顔が認識できないほどに真っ暗なこの写真は、
普通に見るとなかなかに最低の写真だ。

しかし、僕らはこの一枚の写真をきっかけに
一晩中語りつづけることが、
数年経った今でもできるのだ。

当初、違うテーマで写真集を作るつもりでした。

よくよく考えて、
写真も時間も足りないことに気づき断念。

一度リセットし、これまでに自分が撮った写真を
改めて見返していた時に気付いた。

「あれ、なんか夕日の写真多くね?」

確かに、好きだ。

当たり前すぎて気づかなかったのか?

出かける前に、鍵がないと探していたら、
しっかり手に握りしめていたかのような。

本当に大切なものは、案外近くにあって
いつのまにか見えづらくなっているものというのは
こういうことなのかな。

探し物を見つけたような感覚。

作る目的とは違うところに、
得るものはたくさん落ちていた。

結果的に一眼レフで気合を入れて撮った写真ではなく、
スマホで撮った写真ばかりになってしまったけど、
作ってよかったなーという想いを噛み締めながら、
また今日も沈みゆく夕日に想いを馳せる。

P.S.
この写真集の写真の中の一枚、
夕日ではなく朝日の写真が入っています。笑

あなたは気づきましたか?

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