わたしのマチオモイ帖「大蓮帖」

「わたしのマチオモイ帖」は、日本全国のデザイナー、写真家、イラストレーター、映像作家、コピーライター、編集者などプロのクリエイターが、自分にとって大切な町、ふるさとの町、学生時代を過ごした町や、今暮らす町など、各地の町で育まれた「わたしだけの思い」を小冊子や映像作品にして紹介する展覧会活動です。

わたしのマチオモイ帖制作委員会

ずいぶん前のことにはなりますが、この活動に参加させていただいた時に、私が作成した「大蓮帖」です。

大蓮という町の名前にちなんで、蓮の花びら一枚一枚に思い出の場所と文章をきざんだもの。

花びらを束ねてリングでまとめており、広げると大きな蓮の花のようなカタチになる一冊です。

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この町は、大阪の中心部からは離れており、これといったランドマーク的な施設も少し足をのばさないとないようなところ。

小さい頃のわたしは、都会への憧れのような気持ちもあったのか、また学生時代に嫌な思い出があったりと、あまり好きな町ではなかった。

成人過ぎて、一人暮らしもし、いろんな町を知った。

都会は便利だし、お店も選ぶのが大変なほど溢れているし、遊ぶところもたくさんある。

でも、いつしかそれが息苦しく感じるようにもなっていった。

そんな時、私が求めたのは、自然の多い場所だったり、一人静かな気持ちになれる図書館だったりした。

憧れの気持ちは、実態を知らないで外側からぼんやり眺めていた頃の幻想の部分が大きく、日々暮らす町としてそれがいいかと今聞かれたら、そうでもないという答えになる。

こうして幻想を昇華した後に参加したこのイベントをきっかけに、懐かしい町を訪れた。

正確には、ちょこちょこ通ったりはしていたが、じっくりゆっくり町を歩いたのは久しぶり。

「あ、ここよく来たな」

「あ、ここはこんなふうに変わったんだ」

とかとか、想いを巡らせながら町を堪能した後に思ったのは、

「この町には必要なものはすべてあったのかもしれないな」

という、私自身も予想外のものだった。

特に、歩いてすぐの場所にあった大きな公園(外周1.5kmほど)なんかは、今の私にとってはすごく良い環境だと感じる。

そういえば、よくそこで遊んだ。陽が落ちて真っ暗になるまで。
時には子供会の行事で、早朝にラジオ体操に行ったりなんかもして。

せまい家に家族5人で暮らして、色々窮屈だった記憶が強いし、両親はよく喧嘩をしていたし、私も弟とよく喧嘩をしていたけれど、一人暮らしで仕事づくめの生活の中にはない、温かさはたしかにあった。

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町を歩くと、いろいろな場所にふれるたびに、記憶の扉が開かれる。

過去との対話、町と会話しているような気分になれた。

楽しかった思い出も、辛かった思い出も。

楽しかった思い出に頬を緩ませながら、
辛かった思い出には、過去の私を慰めるように
反発する思いと仲直りをする。

すると、気持ちが晴れてくる。

置いてけぼりにして、
見て見ぬふりをしてしまっていた思いと向き合うことで
今の自分がいっそうひらけてくる。

そんなことがあるんだなぁと、これもまた新しい発見。

新しい自分を見つけるために、
知らないところに行くのではなくて、
過去に通った道を今一度歩いてみる。

自分の内側を深く掘って、出てきた感情を抱きしめるように。

蓋をして奥へ奥へしまいこんだ過去の痛みは
今の私を縛る鎖、足枷となっていたようだ。

そうしていつしか、
本当の自分、本当の気持ちが
わかりづらくなっていたようだ。

わたしのマチオモイ帖をつくることで、
まさかそんな発見があるとは。

そんな気持ちを解放させるような効果があるとは思いもしなかった。

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わたしのマチオモイ帖は
いろんな人の視点から、いろんな町のことを知れる
とてもおもしろい活動であるとともに、
作り手にも大切なことを思い出させてくれる
素敵なものであると本当にそう思いました。

そうか、だからこの活動はこんなにも大きく広がったのかもしれないな。

この活動の参加条件がクリエイターとなってはいるけど、
そうでない人にも、一度つくって見て欲しいなと個人的には思いました。

大きくなって、大人になって見えなくなった何か。

小さい頃に大切にしていた何か。

それを思い出させてくれるかもしれない。

そしてそれは、今、すごくすごく大切なものかもしれないから。

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